氷室神社文化興隆財団

高丘親王入唐記―廃太子と虎害伝説の真相―

高丘親王入唐記―廃太子と虎害伝説の真相―

佐伯有清著 吉川弘文館

平城天皇の第三皇子の高丘親王は、嵯峨天皇の皇太子に立てられたものの、薬子の変で皇太子を廃されてしまいました。

その後、親王は道詮のもとで三論宗を学び出家し、やがて空海に師事して真言宗を修めました。そして、ついには入唐求法を志して唐に渡り、さらに仏教発祥の地天竺を目指して旅立ちました。しかし親王は、途なかばにして斃れたという数奇な生涯を送った人物です。

著者はこの高丘親王の生涯を新たな視点から辿り、伝説と史実の狭間で揺れる高丘(真如)親王伝を読み直し、波乱の生涯の実年像に迫ります。

真如親王は、斉衡年(855)東大寺の廬舎那大仏の頭部が顛落したため、修復工事の責任者として先頭に立って事をすすめました。貞観三年(861)大仏開眼供養会が盛大に催されたとき、大仏の修復から携わってきた真如親王にとって感慨無量のものがあったはずです。著者は、親王の伝記を語るとき、この業績は、もっと大きく評価されてもよいであろうといいます。