氷室神社文化興隆財団

日本史の中の古代天皇陵

日本史の中の古代天皇陵

茂木雅博:著 慶友社

著者は、日本の近代化のなかで巨大古墳が天皇陵に治定されたことで、調査対象から除外されている状況に苦言を呈し、陵墓の歴史に目を向けます。この中で、我が国の始祖王である神武天皇の陵が、継体天皇、聖徳太子、大海人皇子の時代の三度築造された可能性があり、その伝承が、神武天皇の治定を混乱させたのではないかといいます。

陵墓は、醍醐天皇の親政期に初めて調査が行われ記録されましたが、平安後期には特定の陵墓以外は祭祀の対象ではありませんでした。鎌倉・室町時代になると、略奪や、築城による改竄がおこなわれましたが、江戸時代には陵墓の探索が行われるようになります。幕末には、文久の修陵が行われ、明治期には、天皇・皇后陵および陵墓参考地が決定します。それは、条約改正のために、日本には「神武創業」以来の「伝統」があることを欧米に示す必要があったからです。

墓碑や墓誌がない被葬者の特定は、困難であることが多いです。著者は、百年以前に治定された陵墓は、現在の考古学の水準で宮内庁が自ら再検討すべきではないかと提言します。