氷室神社文化興隆財団

塔と仏堂の旅 寺院建築から歴史を読む

塔と仏堂の旅 寺院建築から歴史を読む

山岸常人:著 朝日新聞社

著者によると、奈良時代の儀式というのは、金堂の前庭と回廊など全体が儀式の場になっていたのに対して、中世にはそれが統合されて本堂という一つの建物に集約されたといいます。室町時代後期の真宗・浄土宗・日蓮宗・時宗などでは、宗派独自の近世的な仏堂空間を創り出しました。近世の仏堂は、堂内が内陣と外陣に分かれている点で中世仏堂に類似していますが、住宅風の技法や意匠を基調としていることが特徴です。本堂の中に入ると、広い畳敷の空間があるのが近世の仏堂です。

また、鎌倉時代後期以降に盛んに使われた折衷様という建築様式を取り上げ、瀬戸内の浄土寺・明王院(広島)、讃岐国分寺(香川)を例に挙げています。この折衷様は奈良深い関係があり、大仏殿の再建で大仏様の洗礼を受けた南都という場で、和様に大仏様の要素を取り込んだ技法や意匠が工夫され、構造的にも意匠的にも突出した作例である奈良の般若寺楼門を生み出すまでになります。こうした技術が、西国へ展開していったとき、そこでの寺社造営は既存寺院の伝統に制約されない、より自由度の高い仕事の場を提供しました。

これらの技術は、西大寺の律宗の僧侶に率いられた南都東大寺系の建築工匠によって行われたので、大仏様を基盤としながらも、それを変質させた折衷様の代表的な遺構を生み出すことになりました。その背景には、西大寺が、鎌倉後期に国分寺復興の任に当たっており、番匠・石工などの技術者を伴って活動していましたし、幕府も積極的にこの事業を援助していたことがあげられています。