氷室神社文化興隆財団

古代日本の陵墓と古墳2 律令期陵墓の成立と都城

古代日本の陵墓と古墳2 律令期陵墓の成立と都城

今尾文昭:著 青木書店

本書は、「律令期陵墓の創出」という視点からまとめた論文集です。このなかで、畝傍山周辺の陵墓と額田部(ぬかたべ)氏の墓について次のように説明しています。

藤原京の造営にあたっては、30基以上におよぶ古墳が壊されている一方、墳丘を残している古墳もあります。それらが神武陵以下5つの畝傍山周辺の陵墓で、古墳を選択して墳墓に仮託した可能性が高いといいます。律令国家は陵墓を創出したが、同様のことは氏族でもみられます。

八世紀後半の「額田寺伽藍並条里図」では、大和郡山市額田部北町所在の船墓古墳が額田部宿禰(ぬかたべのすくね)先祖の始祖墓であると記しています。しかし、この始祖墓が編年的に新しいのは、高台にあるという好都合の位置にあったため、「額田部宿禰先祖」墓として奈良時代の額田部氏によって創出されたものだからといいます。新羅でも京内に始祖墓とその王統譜に連なる伝説上の王墓を配置したらしいことを指摘し、新しい古墳が始祖墓に当てられているのは古墳の知識がなかったからといいます。

そのうえで、現在天皇陵の一部は陵墓である前に、古墳時代の遺跡であり、古墳である「陵墓」の公開・活用にむけた指針を示すことが大切だといいます。