近代奈良の建築家 岩崎平太郎の仕事―武田五一・亀岡末吉とともに
岩崎平太郎(一八九三~一九八四)は、吉野郡下市町に生まれ、吉野郡立吉野実業学校を卒業し、京都府の寺社修復工事の技術雇に採用されました。京都では近代建築史上に名高き武田五一、亀岡末吉という二人の建築家に師事しました。
吉野に戻った岩崎は、武田五一のパートナーとして有力者の邸宅や別荘建築の設計と吉野鉄道の駅舎や吉野銀行の各支店の建築設計をする一方、天理教関連施設や奈良県知事公舎の設計も手がけています。
昭和六年には奈良県庁の建築技術者となり、橿原神宮外苑の建国会館や旧制畝傍中学校の改築に携わり、小学校校舎などの設計も一手に引き受け、奈良市に建築事務所を開設し、奈良県警察学校や南都銀行の下市支店などを手がけています。
近年、岩崎の設計した奈良女子大学佐保会館や旧南都銀行手貝支店、畝傍高等学校校舎が登録有形文化財に登録されています。本書には、写真等も多数収録されており、岩崎平太郎の仕事から近代奈良の建築史を一覧することができます。