現代語でさらりと読む茶の古典 長闇堂記 茶道四祖伝書(抄)
『長闇堂記』は春日社(現春日大社)の神人(じにん)であった久保権太夫(1571~1640)が著した茶湯の回想録です。『長闇堂記』には「侘数寄」という言葉が使われていますが、これは、貧しいためによい茶道具がなく、よい料理も出せない茶人や茶会のことです。久保権太夫は、「侘数寄は心強く大胆でなければ、道具をはじめすべて不如意なので、世に名高い人と交われば心劣りして肩身がせまく、自然と茶湯が嫌になる」と述べ、「侘び数寄は気づかいを専らとする」とも書いていますように、大胆さと気づかいの繊細さの両立が求められるといいます。
また、『茶道四祖伝書』は徐熙(じょき)の「鷺絵」などの松屋三名物を所持し、『松屋会記』を残した松屋歴代の茶会記録の中から、松屋久重(1566~1652)が、千利休、古田織部、細川三斎、小堀遠州に関わる記事を編集したものです。松屋と親交のあった各茶人の肉声、またそれに近いものばかりであることが、後世の茶書にはない特徴となっています。
本書を読むと、奈良に住む僧侶や商人は、堺や京都の町人との交流をし、大名とも茶湯を通して交際していたことがわかります。また、利休が村田珠光を「侘数寄」「侘び」の祖として顕彰していたことや、奈良が茶の湯の発祥の地として重んじられたことが読み取れます。