儀礼から芸能へ 狂騒・憑依・道化
奈良の寺社は、能・狂言の誕生のうえで大きな役割を果たしてきました。興福寺修二会(しゅにえ)では、堂への悪鬼・邪神の侵入を防ぐために咒師(しゅし)と呼ばれる役による密教的な結界の作法が行われましたが、これは、寺院に参勤した猿楽者によって芸能的に継承されました。東大寺・薬師寺・法隆寺では今も修二会が伝えられ、そこでは、咒師は、御幣を使用するなど、神祇・民俗的な作法を行うことが少なくないです。外国の宗教儀礼が、日本独自の芸能文化を生み出す母胎となった背景には、奈良仏教以来の神仏習合の歴史が秘められていました。
また、春日社の神楽は、巫女が神がかり、失神したと思いきや、すぐ立ち上がり、依頼事に対して託宣して答えるというはげしいものでした。能の物狂いは、様式化された美しいものですが、異界から来訪する神霊が登場する曲は数多く、神がかりの神楽を猿楽能の起源の一つと説いているのもうなずけます。
本書では、能・狂言の成立に、集団の熱狂を巻き起こした側面と、寺社の祭儀と関わる儀礼的・呪術的な影響があったことを指摘し、寺社の儀礼を支えてきた地域の人々にも目を向け、その文化的意義を強調しています。