氷室神社文化興隆財団

中山みき 「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖

中山みき 「心直し」から「世直し」を説いた生き神教祖

小澤 浩:著 山川出版社

天理教は、大和国山辺郡三昧田村(現、天理市)に生まれた中山みきの教えに基づいた宗教です。

みきの両親は浄土宗の信仰に篤く、その雰囲気に馴染んで育ちました。中山家に嫁いでいた父方の叔母が、13歳のみきの優れた気質にほれ込み、倅の善兵衛との結婚話を持ち込みました。両親の説得にあったとき、「夜業の後の念仏を許してほしい」という条件で承諾したといいます。

みきの結婚後、かのという女衆(おなごし)が夫善兵衛の寵(ちょう)をよいことに、ある日みきの食事に毒を盛る事件がありました。この時みきは自分の心を神仏に洗い清めてもらうことによって救われたといいます。また、近所の男の児を引き取って世話をしていたとき、疱瘡にかかり、医者から助からないと言われた際に神々に「お救け下さいましたら、娘二人の命を身代わりに差し出します。それでも不足なら、私の命も差し上げます。」と祈ったといいます。こうした体験から神の願いに殉ずる心構えが準備されていきました。

みきが説いた「陽気ぐらし」のような素朴な「理想郷」への願望は、長らく民俗的な世界にあったもので、これをはじめて歴史の表舞台に登場させた点に画期的な意義があるといいます。