氷室神社文化興隆財団

神仏分離の動乱

神仏分離の動乱

臼井史朗:著 思文閣出版

神と仏ほど異質なものはないはずなのに、長い間カミホトケといって一心同体的な存在として生きてきましたが、今後は同棲まかりならぬ、というきびしい指令が発せられました。明治元年(1868)のことです。

本書には、全国の主な寺社の動向や各地の廃仏の嵐、廃仏に対す民衆の反抗にも触れます。まさに「動乱」という言葉がぴったりです。

この中に奈良の例も載っています。興福寺では神仏分離令が出ると一乗院・大乗院の門跡以下、院家・そろって復飾願い(還俗のこと)を出し、春日大社の神官になってしまいました。興福寺の広大な堂塔伽藍は主なきもぬけの殻となる。大乗院をはじめ多くの建物は売却、仏像・経典・文書・什器なども売却されたり、焼却されたりしました。金堂が、警察署に、食堂の跡に寧楽師範学校など、多くはほとんどが官庁関係に転用されてしまいました。現在の県庁・裁判所ももとの興福寺境内である。奈良の景観は「動乱」のなかで荒廃し、その中から奈良公園が誕生します。奈良にとっても大きな事件でした。