津藩 日本歴史叢書
政治文化は、藩世界の諸集団で陶冶、醸成され、祖先の勲功なども取り入れてつくられました。津藩の政治文化として「殿様は当分の国主、田畑は公儀の田畑」という認識は有名です。
この津藩世界が産み出した人材で、大和とも縁の深い西島八兵衛がいます。八兵衛は慶安元年(1648)から30年間、大和・山城の五万石を管掌する城和奉行を勤め、この間伊賀と城和の地図作製、溜池築造、荒地開墾に奔走しています。また、40年間以上も日記を書き続けた、大和国添上郡田原郷大野村の同藩無足人山本平左衛門もいます。日記には奈良の人士との交流の記事も多いです。幕末では、平城京条坊を復元した北浦定政も添上郡古市村出身で同藩藩士なっています。津藩世界の人々の行動が、大和地域にもいろいろな影響を与えていることがわかります。