氷室神社文化興隆財団

山城国一揆と戦国社会

山城国一揆と戦国社会

川岡 勉:著 吉川弘文館

南山城の土着の領主である国人たちは、応仁の乱終結後も延々と跡目争いを繰り広げていた守護大名畠山氏の影響を排除し、惣国と呼ばれる自治的な支配を実現しました。

山城の国人たちの中には興福寺の僧兵である衆徒(しゅと)であったものもおり、興福寺の動員に応じてしばしば大和国内の戦乱に加わりました。また、狛氏が大和の国人筒井氏とつながり、椿井氏が同じく古市氏と結んで対抗したように、大和の国人の影響力が浸透していました。

南山城での合戦の主力は他国から入部してきた武士であり、守護畠山政長は筒井・十市氏ら大和牢人衆と山城水主城主斉藤彦次郎の軍勢、一方、畠山義就は誉田・遊佐・平氏などが率いる河内の国人と大和の国人古市・越智氏でした。山城国一揆は、こうした状況を一挙に転換させました。

著者は、これを国人と農民の連合体の「惣国一揆」ではなく、あくまでも、南山城地域の国人たちが地域社会を維持するために外部勢力を排除した運動であり、一揆の主体は当地域の国人であったといいます。南山城の国人たちは、諸勢力の狭間で自治的支配を8年間にわたって維持していくのであるが、それは戦国時代の社会状況を象徴的に示す出来事でした。