戦争の日本史2 壬申の乱
壬申の乱は、古代史上最大の戦乱ですが、この特徴は、朝廷に対して反旗を翻した側が勝利した点にあります。
著者は、この壬申の乱の真の首謀者は鸕野(うの)皇女、後の持統天皇であるといいます。それは、確実に草壁へと継承させることを熱望していた人物だからです。鸕野皇女としては、何としても大友皇子を倒して草壁の優位性を確立する必要がありました。その手段が、近江朝廷を壊滅させることでした。大海人皇子は近江朝廷が対新羅戦用に東国の農民兵の徴発が完了したことを確認したうえで、鸕野と草壁をともなって吉野を脱出しました。
一方、大友皇子は、近江の地方豪族や近江朝廷の重臣にも離反され、瀬田川の最終戦に敗れるや、摂津を目指して逃亡したものの、山崎において「自経」しました。
大友が勝機を逃すことになったのは、飛鳥京に固執した作戦のまずさや、各方面における近江朝廷軍の退嬰的な戦略と戦意の低さがあります。さらに大海人の周到な計画性と運の良さ、加えて何よりモチベーションの高さによるものだといいます。