三輪山 日本国創成神の原像
著者は、各地の三輪山と三輪神を祀る土地を細かく調査・検討します。その結果、六世紀の欽明・敏達王権が、三輪山の大己貴神(おほあなむちのかみ)を諸国・諸地方の拠点となる聖山に一斉に勧請・分祀されたものといいます。
大己貴神は、ヤマト王権の守護神して崇められた至高神でした。したがって、この神は、大和王権の最初の姿である「邪馬台国」卑弥呼の「鬼道」の実態でもあるといいます。その後、四世紀中葉から軍事王の台頭により男性優位の状況が生まれました。五世紀には男王の一族の未婚女性(王女)が大己貴命の神妻に選定されるようになりました。
欽明朝を画期として、この神の祭祀を地方の勢力に授けることで、地方の神々を祀る勢力を鎮め統制するという事業を推し進めました。そのため、中央神が地方鎮撫のための地方神に変質しました。これに変わって、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)、ついで天照大神(あまてらすおおみかみ)が至高の国家神として登場しその地位を確立するといいます。
三輪山の神の歴史は、ヤマト王権の歴史でもあることを再認識した一書です。