奈良大和路茶の湯逍遙
奈良は古代だけのイメージではとらえきれない文化的伝統を中世に築き上げたが、茶をめぐる文化もその一つです。茶の湯を創始したとされる珠光が奈良の人であったのは、奈良が喫茶文化の先進地であったからでした。奈良は京都・堺より早く、最初に茶の湯が盛んになっていたので、茶の文化との関わりは、どこよりも長くて深いものでした。
その歴史と文化を、「一、茶の湯以前の奈良と茶 奈良~鎌倉時代」「二、茶の湯の成立と奈良 室町~織豊時代」「三、奈良に広がる茶の湯 江戸時代以降」の三部構成で、わかりやすく紹介しています。
興福寺一乗院跡の土坑から発掘された緑秞陶器が、喫茶用具ではないかと指摘されており、 喫茶の習慣は、八世紀末までさかのぼる可能性があります。また、東大寺お水取りの練行衆が、徹夜の行をつとめて宿所へおりたとき、夜食としてゴボと称する茶ないし茶粥が出されています。奈良の朝食に茶粥を食べる伝統がありますが、こうした寺院食が起源である可能性が高いといいます。さらに、鎌倉時代から奈良には茶園があって、その茶が鎌倉へ運ばれていましたし、室町時代には、寺院では茶を飲み比べて産地を当てる茶勝負(闘茶)が行われ、猿沢池のほとりの茶屋では人々が金を払って茶を飲むようになっていました。
茶道を大成した千利休や古田織部は、こうした伝統のある奈良をしばしば訪れ、小堀遠州は少年時代に大和郡山ですごしましたし、大和小泉藩主片桐石州は、武家茶道の石州流の祖となっています。
写真も豊富で、史跡へのアクセスも記されているので、奈良の茶の文化と歴史をめぐる旅のガイドブックとして最適です。