氷室神社文化興隆財団

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大学的奈良ガイド―こだわりの歩き方

本書は旅行ガイドの奈良本には書かれていない奈良を多角的に紹介しています。奈良に関する視点が一つ増えれば、奈良像も一つ増えることになりますが、この「視点」という言葉を「面白さ」に読み替えてほしいともいいます。 この本を生み […]

国宝を撮した男 明治の写真師 工藤利三郎

工藤利三郎は、明治26年の春、45歳で徳島より奈良市の猿沢池畔に移り住んで写真館を開業。以来、日本の文化遺産や景観を撮影し、日本の古美術の普及・保存に貢献しました。しかし、その経歴はとなると、ほとんど知られてはおらず、紹 […]

高丘親王入唐記―廃太子と虎害伝説の真相―

平城天皇の第三皇子の高丘親王は、嵯峨天皇の皇太子に立てられたものの、薬子の変で皇太子を廃されてしまいました。 その後、親王は道詮のもとで三論宗を学び出家し、やがて空海に師事して真言宗を修めました。そして、ついには入唐求法 […]

森鴎外と奈良

鴎外と奈良の関わりは、長い陸軍の勤務を離れて、帝室博物館総長になった大正七年(一九一八)からです。この職は東京、京都、奈良の三博物館の最高責任者で、秋の曝涼のために約一ケ月前後奈良の博物館官舎に単身赴任していました。彼の […]

〈日本美術〉の発見 岡倉天心がめざしたもの

天心は、東京美術学校の講義の中で、明治17年に法隆寺夢殿の秘仏救世観音を見たときのことを「一生の最快事なりというべし」と語っています。この体験は彼の人生を方向付けることになり、日本の古美術の保護と創造的復興のために身を挺 […]

宇宙菴 吉村長慶

吉村長慶は、昭和17年に数え年八十歳で亡くなるまで、奈良県内はもちろん京都、大阪、高野山にまで二・三百の石造物を遺しています。佐保川に架かる北袋町の長慶橋や舟橋町北詰めの下長慶橋も、現在は鉄筋コンクリート製だが、元はどち […]

文人世界の光芒と古都奈良―大和の生き字引・水木要太郎―

水木要太郎は、膨大なコレクションを残したことでも有名です。 その中味は、大和古寺の瓦や経典、中・近世文書、典籍や写本、近世の刊本・刷り物や絵地図・暦本・著名文化人の書簡など多岐に及びます。このコレクションの過半数が国立歴 […]

水木十五堂小伝

明治中期から昭和初期にかけて水木要太郎という文人学者がいました。「大和の生き字引」といわれた奈良学者です。 要太郎は、奈良県史蹟勝地調査会の報告書や奈良県各地の郡誌の校閲、「大和めぐり」や「吉野精華」などの大和名所案内、 […]

高松塚古墳は守れるか 保存科学の挑戦

多くの国民に高松塚古墳壁画の劣化は大きな衝撃を与えました。壁画発見から三〇数年たち、現地保存から”解体修理”へと方針の転換が行われ、壁画を修復し、修復終了後石室を修復して壁画をもとに戻すことになります。 著者も、保存科学 […]