氷室神社文化興隆財団

奈良貴族の時代史 長屋王家木簡と北宮王家

奈良貴族の時代史 長屋王家木簡と北宮王家

森 公章:著 講談社選書メチエ

長屋王家木簡が発見されたのは、1988年の奈良そごうデパートの建設現場でした。このときに約3万5000点もの木簡が一度に出土しました。それから21年、長屋王木簡でどんなことが解明されたのでしょうか。

副題の北宮王家(きたみやおうけ)は天武天皇の長子高市皇子(たけちのみこ)に始まり、長屋王とつづく王家をいい、729年の長屋王の変でかつての隆盛を失うものの、王族としての血筋は奈良時代末まで、また臣籍降下した後も長く貴族社会の一員として存続します。

この北宮王家という言葉は長屋王家木簡の研究に基づき著者が呈示した歴史学上の名辞で、長屋王木簡にうかがわれる奈良時代初期の王貴族の家政形態を解明するための視角として提唱されたものです。

北宮王家の家政運営や経済基盤、女性王族のくらし、地方豪族との関係などの解明に長屋王木簡を位置づけ、北宮王家の視点から今まで語られなかった奈良時代の姿を見ることができ、藤原氏中心のそれとは異なった奈良時代史が見えてきます。