氷室神社文化興隆財団

伝統芸能部会 編 秋篠文化第六号 特集 南都の雅楽

伝統芸能部会」編『秋篠文化第六号 特集 南都の雅楽

笠置侃一著/秋篠音楽堂運営協議会 秋篠音楽堂運営協議会

雅楽や舞楽の伝習とその発展に寄与された著者が、雅楽の解説と奈良の雅楽の歴史や南都楽所の活動を紹介したものです。

現在、奈良県内の舞楽面の遺品は非常に多く、重要文化財に指定されているものは八十二面にものぼり、全国の55%が奈良県にあるといいます。それだけ、奈良で舞楽や雅楽が盛んであったことを示しています。

雅楽の歴史は、中国や朝鮮から伝来して以来、雅楽寮が整えられて国の機関として伝承され、東大寺の大仏開眼供養会を一つの頂点として、華やかな進展を遂げた時期。平安遷都から南都楽所が形づくられ、大内楽所、天王寺楽所とともに宮廷や幕府の保護をえて、伝承された時期。明治3年(1870)に楽所が廃止され、楽家のほとんどが東京に移住して、現在にいたるまでの三期に分けられます。

国家の庇護をはなれたのちも、奈良にとどまった楽家の人びとが中心となって、伝えられてきたのは、春日若宮御祭があったからだといわれています。おん祭だけは決して絶やしてはいけないという人々の願いによって、南都雅楽が、奈良で受け継がれたといいます。